40歳になり、娘ももうすぐ2歳。
このタイミングで、結婚、妊娠、出産までの自分の変化を振り返ってみようと思います。
前回の記事はこちらです。
一緒に住むために
役所をあとにした私たちは、結婚をより現実として意識し始め、その日のうちに親に電話で報告をしました。
翌年5月、結婚。その3か月後、彼は10年続けた仕事をやめ、慣れ親しんだドイツの街を離れてマレーシアに移ってきました。
マレーシアには配偶者ビザで入国。配偶者であれば会社の規定で、飛行機はビジネスクラスに乗れ(エコノミークラスよりも多く荷物を持ってこれるのが利点)、その他の引っ越し荷物を会社負担で送ることができ、会社が契約者となっている私の住まいにも、堂々と一緒に住むことができます。渡航前の健康診断、予防接種、ビザのサポートも手厚くサポートされます。
このような現実も、結婚を後押しした要因のひとつでした。
ちなみに、結婚を後押しした周囲の言葉とは?
時を少しさかのぼります。
休暇でドイツに行く前、私は例の憧れの家族のお宅を訪問し、奥様に結婚の相談をしていました。
私「今度の休みにドイツに行きます。遠距離恋愛をずっと続けるのも現実的ではなく、今後についての話もするかもしれません。私は独身を十分楽しんでいます。でも寂しくも思っています」
その時、奥様は実に軽やかに、このように返してくれました。
奥様「一回結婚してみたら?合わなかったらやめることもできるのよ」
当時、仲のよかったマレーシア人の同僚にも同じように話してみました。
同僚「ドイツとマレーシアね。お互いの行き来を考えても、なんてランニングコストのかかる関係なの。さっさと決めちゃったら」
マレーシアで始まった新婚生活
さて、3か月の別居婚を経て、晴れて同居の新婚生活が始まりました。
彼はビザの関係上、主夫になりました。
久しぶりの共同生活。楽しみだったはずなのに、独り暮らしに慣れきっていた私は、自分の生活リズムが崩れていくことにイライラし、それがある日爆発しました。
主夫となった彼は、私が会社で働いている日中は「日本語検定N2の勉強をする」と言っていました。しかし勉強は毎日1~2時間。その後はコンドミニアムのプールで泳ぎ、趣味に時間を使っていました。職を探してビザ切り替えを狙う様子もありません(少なくとも私にはそのように見えていました)。高校時代、過酷な受験勉強で、日に5時間、8時間と、机に向かってきた私には信じられませんでした。人生でこんなに自由な時間なんて二度とないのだから、スキルアップに全力を注ぐべき。あるいは仕事を探すか、現地の人たちとつながる活動をすべきでは。同居2か月目で、今までにない大げんかをしてしまいました。