すっかり昨年のことになってしまいましたが、2021年9月、無事出産しました。
その日の様子をまとめたいと思います。
破水からスタート
深夜のお風呂あがり。
「さあ今日も寝るか」とベッドに座ったところ、突然、体から水が流れてきました。
チョロチョロではなく、バシャーンです。
反射的にベッドから立ち上がったものの、床はびしょびしょ。歩くとつるんと滑りそうです。羊水特有のにおいもします。
「私は陣痛から始まる」と思いこんでいたので、心の準備などありません。
「わー!」という大声に、ちょうど深い眠りに入りかけていた夫が飛び起きました。
そして、病院とタクシーに電話。冷静でいようと努めたものの、夫婦そろって部屋を行ったり来たりしながら、最後の荷造りや着替えを済ませました。
順天堂、到着
夜用のナプキンを当てた状態で病院に着いたのは、日付が変わった夜1時前。新型コロナウイルスの影響で、夫の立ち合い出産は叶わず、産科病棟の入口でお別れ。
2人にとって一生に一度のこと。別れはとてもさみしいものでした。
さっそくLDR室へ
まもなく陣痛がやってきました。生理痛のような痛みがくるたびに、生温かい羊水がじゅわっと押し出されてきます。夜用のナプキンでは到底間に合いません。病院から渡された産褥パッドを当てるためにトイレに入ります。そこへ、ついに激痛が。ほんの数秒、でも想像をはるかに上回る痛み。波の山にいる時は、動けたものではない。「耐えられない」ととっさに悟りました。
トイレから分娩台に戻り、じっと痛みに耐えます。部屋のうす暗いあかりが、なんとなくリラックスさせてくれます。しかし徐々に痛みが増し、陣痛がくるたびに逃げたくなってきました。「痛い時こそ呼吸を整える」なんて、私には曲芸でした。
産前、「陣痛がどれだけ痛いものか、試してみたい」などと言っていた私ですが、様子を見に来てくれた助産師さんに「麻酔、入れてください」と頼みこんでいました。急なお願いにもすぐに対応してもらえる順天堂。ここにしてよかった……。
いよいよ麻酔
子宮口が3センチ開くまで待ち、ようやく無痛分娩の麻酔が入ったのが朝4時すぎ。
痛みで体をよじりたいのをこらえて、助産師さんの手をぐっと握りながら、背中を丸める姿勢をとります。そこへ先生が麻酔を入れていく。冷たい薬が背中にスーッと入っていきます。待ち望んだ、痛みからの解放。ここまで長かった。
「寝れるときに眠って。最後は体力勝負だよ」3児の母である妹からのメールに従い、すなおに眠りました。
学生受け入れ
子宮口がほぼ開いたのが朝の7時半ごろ。陣痛は、麻酔をしていても痛みがわかるほどになり、そのたびに、手元のボタンを押して自分で麻酔を追加しました。
助産師さんが来て、学生の実習を受け入れてもらえるか尋ねにきました。ここは大学病院。医療の向上のための施設を兼ねることはわかっていたので、もちろん快く承諾しました。
最後のひといき
朝9時半、子宮口が全開になりました。ここからは、いきむ段階です。
陣痛の山に合わせて腹圧をかけます。1回の陣痛につき1、2回いきみ、次の陣痛まで待ちます。一度のいきみで少しずつ、赤ちゃんの頭が出かかっては戻っていく。出産には、案外、待ち時間が多いことを知りました。助産師さんはそのすべてに付き合ってくれるので、陣痛と陣痛の間には「お時間いただき、なんだかすみません」と思っていました。
周りを観察する余裕があったのも、麻酔したからこそかもしれません。特に助産師さんの学生への指導は興味深かったです。いきむ時に「そうそう、いい感じ」「その調子」「頭が見えてきましたよ」などの声かけを積極的にするように、あるいは、脱腸(いきみすぎて腸が肛門から出ることがあるらしい)を防ぐために肛門部分にぐっと手を押し当てるように、など指導の声が聞こえました。
助産師さんの指導にならい、学生さんが元気よくを声をかけてくれます。そして状況を判断した助産師さんがもう一人の学生さんを呼んできて、私のいきみのサポートしてくれるようになり、さらに彼女たちの担当教員も様子を見に来てくれ、いつのまにか私のLDR室は活気にあふれてきました。
しかし、赤ちゃんの頭はいっこうに出てきてくれません。赤ちゃんの心音も、すでに長いこと、速い状態が続いています。医師が「赤ちゃんにかなり負担がかかっています。会陰切開してもよいでしょうか」と私に声をかけてくれました。
恐怖のワード、会陰切開。
私は全力で「いやです」と返答し、「あともう1回だけがんばらせてください」と頼んでみました。もちろんあと1回で赤ちゃんの頭が出たわけではありませんが、何回かふんばって、やっと頭が出ました。あとは助産師さんが、赤ちゃんの肩をぐぐっとひねらせるようにして、一気に引き出してくれました。
9月17日のお昼、11時32分。ついに初の出産が終わりました。
妊娠期間 38週3日
分娩方法 経腟分娩
所要時間 9時間38分
子の体重 3,534g
すぐに元気な泣き声が聞こえてきました。涙がぶわっと溢れてきました。そしてそれ以上に、笑顔になっていました。
それは、家族はもちろん、助産師さん、学生さん、医師、教員、麻酔科医のみなさん、三ノ輪の紀先生、その他これまで私の出産を支えてくださったすべてのみなさんへの感謝でした。
すべての力を出しきって
結局、会陰切開も、吸引・鉗子もなく、産むことができました。
尿道付近が傷ついて3針ほど縫ったのみとのことです。軽傷中の軽傷ではないかと思います。
その後、病棟に移るのですが、待っている間に突然、激しい頭痛がしてきて、吐いてぐったりしてしまいました。軽い脱水症状を引き起こしたようです。が、そこは病院。すぐに点滴で治してくれました。
目が覚めると、夕飯まで1時間強ありました。しかし、さすがにおなかが空いています。
ベッドに横になったまま、手持ちのスナックをポリポリ食べながら、18時半の夕飯を待ちました。
ところで、産後はじめて歩くときは、看護師さんの支えとともに、ゆっくりお手洗いまで行くことになります。出産で急に体重が減り、体も疲労困憊でバランスを崩しやすいからだそうです。
私の場合は骨盤まわりがガタガタで、動くたびにまるで骨が鳴るようでした。ヨタヨタとしか歩けません。また腹圧がかからず、鼻がまったくかめないのには、もはや笑ってしまいました。
本来であれば、母子同室で、この日から赤ちゃんとの生活が始まります。しかし私は体調を崩したことから、赤ちゃんは新生児室に預けて、この日はゆっくり休ませてもらうこととなりました。
出産から退院までは、別の記事で書きたいと思います。
続きはこちら⇒順天堂でのお産②多数室での入院